洛中と洛外

平安京は唐の都「長安」を模して798年桓武天皇により平安遷都で造られた。中国では長安を西都、洛陽を東都と呼んでいた。
その後京都は発展した左京(洛陽の部分)が中心となります。
そこから南北は一条大路から九条大路、東西は東西京極大路に囲まれた範囲が洛中、その外側を洛外といわれるようになりました。

 

豊臣秀吉は当時治安が悪かった京都から中心部を守るため、この範囲を堤防で城壁のように囲んだ。これが「大土居(おどい)」と呼ばれ、現在でもその跡が所々残っている。