土佐藩ゆかりの地


土佐藩家紋

 

土佐藩邸跡
京都市中京区木屋町通蛸薬師西南角
酢屋から歩いて5分くらいの木屋町・高瀬川沿いにあった。龍馬もたびたび立寄ったと思われる。高瀬川沿いには土佐藩ゆかりの地が多い。土佐勤王党・武市瑞山(半平太)、土佐天誅組・吉村寅太郎の寓居跡も近くにある。

土佐藩邸跡     土佐藩邸跡の碑

 

酢屋 旧海援隊本部
京都市中京区河原町三条下ル一筋目
龍馬寓居跡で海援隊活動の本部でもあった。土佐藩邸、各藩邸とも近く高瀬川横にあり交通アクセスに優れた場所。ここで同士・陸奥陽之助(宗光)らと海援隊を組織した。酢屋嘉兵衛は土佐藩出入りの材木商であり、龍馬の活動に理解・協力があった。酢屋前の通りは「龍馬通り」と呼ばれている。

酢屋外観      海援隊・隊士

 

武市半平太(瑞山)邸跡
京都市中京区木屋町通三条上ル上大阪町 
土佐勤皇党党首として活躍。龍馬とは遠い親戚で幼なじみでもある。土佐藩参政・吉田東洋暗殺に関わり、後に藩主山内豊信(容堂)により切腹させられる。東洋暗殺には勤皇党・岡田以蔵が疑われた。武市瑞山は後の新国劇の代表作「月形半平太」のモデルとなった。

武市半平太(瑞山)寓居跡 寓居跡の碑

武市瑞山寓居・古写真

 

中岡慎太郎邸跡
京都市中京区河原町
陸援隊隊長として龍馬とともに活躍した。四条河原町すぐのこの場所は、土佐藩・近江屋とも近いところにあった。